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ヒストリー史料館

トヨタとの絆

創業の頭初から終始一貫して発展と斯業の興隆に寄与して来られました
…貴社の御功績に對し感謝の意を彰はす

当社の前身である淺井商店は、トヨタの創業者豊田佐吉氏より独立を勧められたところより始まる。豊田自動織機ともかなりの量を取引していたが、その子、喜一郎氏が自動車製造に進出した際には、積極的に奉仕。トヨタの試作第1号車設計のフレーム材にも納入を行っている。鉞次郎は、トヨタ自動車への資材の供給者という立場で主要な地位を占めてゆき、1943年8月には嘱託を委嘱された。
また、1949年頃にはトヨタにも戦後最大の経営難に陥った時代があった。鉞次郎は全私財を賭する覚悟で鋼材を納入。戦後の日本の産業の復興とトヨタの復活に一役を担った。
以来、当社はトヨタとの良好な付き合いを継続しており、非上場の会社ながら株式の持合いや社外役員の派遣をしてもらうなど、取引以外にもトヨタとの絆を深めている。

JIS規格”S9CK”の誕生

商工省へ直接談判の結果が実り、
JISに認定

SCK:浸炭肌焼専用鋼、Kは高級の頭文字。鉞次郎は、戦時中より紡織機の筋ローラー用肌焼鋼不足を予見し、神戸製鋼所へ開発要請を行った。製品の品質向上が進まないとみるや、ドイツから鋼材を輸入し、サンプルを現場に何度も持ち込み「こんなものを作ってほしい」と技術開発部門を鼓舞。肌焼鋼の初の国産化に結びつけた。
神戸製鋼所と相談の下、この”淺井規格”の特別極軟鋼をJIS規格鋼とするため、豊田自動織機、豊和工業などの紡織機メーカーに働きかけ、商工省(現:経済産業省)に対して数度にわたり陳情書を提出。1949年7月に特別極軟鋼は無事、規格名”S9CK”としてJISに認定された。

徹底した品質管理

「お客様本位の」「特徴のある問屋」
をモットーに 

当社は創業以来、お客様第一のサービス精神の下、徹底した品質管理を行っている。取引先の求める品質を探し出すため、材料問屋に片端から電話で調査し、在庫確認を行うだけでなく現品を確認し、必要ならばサンプルを入手し、持ち帰り点検を行った。
また、仕様要求に応じて鍛冶屋へ持参して焼入、折曲試験を行い、満足のゆく結果を得られてから買付けに入った。したがって、他の問屋とは異なり、ある程度の点検・試験を得てから納入されたものであるため品質に責任を持ち、自信を持って競争ができる体制にあった。
このように、現地へ出向き、実際に目で見て現物確認をする姿勢は現在も社員に引き継がれており、お客様の納得する品質で材料を提供し続けている。

青鋼会

紡織機メーカー、部品メーカー
とのつながり

1948年発足。主要メンバーは豊田自動織機製作所、豊和工業、日本スピンドル製造、日本シャフト製工所、大阪機工、三国紡織機製工、福島製作所。当時、特別極軟鋼材の両端を”青”色で色別表示していたことから名づけられる。技術打ち合わせや情報交換を兼ねた懇親会であり、時に団結して行動した。
特に、1939年より始まった鋼材の配給制の対処に取り組んだ際は、1948年から1949年にかけ、商工省へ連盟で陳情書や要望書を数度にわたり提出。紡織機メーカーに必要不可欠な材料の必要量の確保に努めた。

株式会社神戸製鋼所 脇浜工場(当時)での記念写真 1957(昭和32)年 4月

鉞次郎の人柄

創業者の厳しさと優しさ

「人と人とのつながりを大切にしなければならない」「平素が一番大事である」
これらを座右の銘とし、鉞次郎は従業員に挨拶・おじぎ・時間を守ることなど厳しく指導した。履物を揃えることはもちろん、机上のそろばんや鉛筆をまっすぐに置くように指導するなどの几帳面さに加え、お客様を見送るときは、車が見えなくなるまで、エレベーターが目的の階につくまでが「人に対する誠意」だと教えた。
商売では「お客様本位」を徹底させていたが、一方、心温かい一面もあり、鍛えられた従業員は"納得のいく厳しさ"であったと振り返っている。また、地元への感謝も忘れず、消防施設への寄付や医療機器・療養施設への温室の寄贈を行っている。

ジャスト・イン・タイム
納入のはじまり

鉄鋼の商社として
初めて採用

戦後、鉄鋼生産設備が合理化され、鉄鋼の流通機構にも合理化が求められ始めた。それまで特殊鋼は、受注生産方式を採用していたため、納期遅れやコスト高が問題であった。
当社は、大阪市大正区に倉庫を構えたのを皮切りに、東京都江東区、千葉県市川市、愛知県高浜市へサービスセンターを設立し、当社独自の在庫システムを構築。鉄鋼メーカーより大量に生産された良質な特殊鋼を、お客様の必要とするときに、必要なだけ、必要なモノ(品種・鋼種)を「ジャスト・イン・タイム」で日本全国どこでも指定場所へ納入するサービスを開始した。当社が鉄鋼メーカーからの材料をコントロールして納入することでお客様が工場や倉庫で材料を在庫するためのスペースや無駄を省き、常に必要なモノだけを手に入れられる環境をつくり、自動車メーカーや部品メーカーの効率的な生産体制に貢献している。

地域とのかかわり

地元への感謝を忘れず、
地域社会にも積極的に貢献

1973年、春恒例の”大阪花まつり”にあわせて、彫像「緑の賛歌」の除幕式が行われた。
大阪市役所南側の中ノ島公園に設置されたこの彫像は、大阪市の緑化運動が始まったのち、その運動のシンボルとしてモニュメントの寄贈を住友銀行頭取堀田庄三氏(当時)に持ちかけられたことから実現したが、創業者鉞次郎の”大阪の町をうるおいのある町に”という強い思いを表したものでもあった。
具象彫刻家の第一人者であった本郷新氏が制作、台座の裏側には説明板があり、以下のような文言が刻まれている。

この彫像「緑の賛歌」は兵庫県川西市の淺井鉞次郎氏が
緑豊かな文化の香り高い街づくりを進めている大阪市の緑化運動に協力して
寄付されたものです
ご芳志に深く感謝し
市民の皆さんと喜びをともにしたいと思います

誠実で商売熱心

豊田 英二
(淺井鉞次郎 追想より抜粋)

昭和46年6月5日、トヨタグループの各工場への納入に至便な衣浦の地へ特殊鋼専業倉庫を設置され、その竣工披露パーティに、当時の石田会長、齋藤副社長と私三人がお招きにあずかりました。
淺井さんとのお付き合いは、トヨタ創業以来のもので、鋼材を一貫して納入いただいただけでなく、いろいろの面でお世話になりました。
創業時の本社工場の建設期には、ご商売を越えて、淺井さん自らが長靴をはき鎌を持って整地作業のお手伝いまでしていただきましたのをはじめ、戦後まもない苦難な時期には、私どもに全私財を賭する覚悟で鋼材の納入を敢然として続けていただけましたことは、とても忘れることはできないでしょう。
また、昭和33年には業界にさきがけて、ジャスト・イン・タイムの納入体制をしかれ、ご無理なお願いに対しましても、そのつど、神戸製鋼所さんと連携をはかられ、よりすぐれた特殊鋼の納入のためになみなみならぬご努力をいただきましたことに対し、深く感謝いたしております。

衣浦サービスセンター第1期工事竣工披露パーティで、トヨタ自動車工業の豊田社長、斎藤副社長(当時)と 1971(昭和46)年 5月

企業ロゴを
リニューアル

企業ロゴの変遷

2022年4月、浅井産業は創業100周年を節目に企業ロゴをリニューアルしました。当社が目指す企業のあり方をデザインに込めました。
三つの山は低い山から、高い山への挑戦をひとつづつ積み重ねていく企業姿勢を表現。
アルファベットの最初の文字でもある「A」のエッジを足に見立て、はじめてのことにも真摯に取り組み、一歩づつ着実に向上を目指す企業姿勢を表現しています。

創業100周年
代表メッセージ

創業100周年を迎えるにあたって

――2022年4月1日に創業100周年を迎えられました。率直な思いをお聞かせください。

「株主と取引先の皆様をはじめとする関係者各位の長年に亘る温かいご支援の賜物であり、深く感謝申し上げたいと思います。大正・昭和・平成・令和と4つの時代を乗り越え、今日の当社を築いて来られた創業家と諸先輩方の知恵とご苦労やご努力には、限りない敬意と感謝を捧げたいと思います。私自身としましては、この記念すべき日を6代目社長として迎えられたことは非常に光栄であり、あらためて身の引き締まる思いです」

――100年の歴史において幾度もの節目があったと思われますが。

「私自身は経験していませんが、諸先輩のお話では、創業期や戦中・戦後はかなりご苦労をされたようです。その中で、1950年代後半から大阪、東京に鋼材のサービスセンターを構えて、特殊鋼のジャスト・イン・タイムの納入を開始しました。鉄鋼の商社としては初めての採用だったと聞いています」

「約半世紀前の1971年には愛知県にもサービスセンター(衣浦サービスセンター)を建設し、中部圏で特殊鋼のジャスト・イン・タイムの納入体制を確立しました。それ以前は神戸からトラックでユーザーに運んでいましたので、神戸製鋼所や中部圏のユーザーから高い評価を頂きました。この倉庫の開所式には豊田英二様をはじめトヨタさんの首脳の方々にもご出席を頂きました」

「このように『特殊鋼の浅井』として、大手商社ではできない、きめの細かいデリバリーサービス、コミュニケーションなどで信頼を得ることができました。同時に、お客様の成長に合わせて当社も新規事業を拡大し、『特殊鋼の浅井』から一歩進んで、取扱商品の多角化も目指しました。1975年には非鉄金属販売に参入し、神戸製鋼のアルミ・銅製品をメインにお客様の開拓と販売の拡大に注力しました。非鉄金属販売は今では売上高の2割以上を占めています」

――鉄鋼、非鉄金属と並び、非素材系の事業も手掛けています。いつ頃に始めたのですか。

「1985年に2代目社長の浅井睦也が『素材以外の業際領域を開拓しよう』と方針を打ち出し、開発部を設置しました。1年がかりで色々な分野を探索し、最終的に金型に対する表面コーティング分野と高機能プラスチック関連の射出成形機用部品(スクリュ、シリンダ)分野に狙いを定めました。私もこの新規開拓に奔走しましたが、当初は事業として確立できるのか、半信半疑だったのを覚えています。今では30年以上が経ち、売上高比率は高くありませんが、しっかり利益貢献できる事業になっています」

「表面コーティング事業は在阪のメーカーとタイアップし、当社が販売を担う形で進めており、現在に至っています。射出成形機の部品事業は神戸製鋼(高砂・明石)に開発と製造を依頼して進めた事業です。現在は当社が事業主体となり、神戸製鋼から引き継いだメーカーに製造委託を行い、現在に至っています」

――機械・環境機器では製造現場の環境改善提案に加え、気候変動に伴う自然災害対策商品、脱炭素社会に向けた商品などを幅広く扱っています。

「平成に入り、ユーザーの環境意識の高まりから、当社も工場環境機器の販売を模索し、鉄を切削する際に出るオイルミストを捕捉・回収する装置を拡販し始めました。これをベースに、ユーザーの求める工場環境機器や神戸製鋼グループが生産する機械の販売に力を入れるようになりました。神戸製鋼グループが多様な事業を展開する中で、今後もヒートポンプ、コンプレッサ、水素発生装置など機械・装置の販売にも力を入れていきます。」

「事業展開の節目以外で言いますと、1995年の阪神淡路大震災は神戸製鋼グループにとっても当社にとっても忘れ難い出来事です。神戸製鋼は早期復旧に尽力され、お客様や多くの鉄鋼メーカーにご協力、ご支援を頂きました」

「もともとの当社は1922年に浅井鉞次郎が創業した同族企業であり、2代目社長は長男の浅井睦也で、創業者の孫である浅井英裕が3代目社長に就任する予定でした。英裕氏は副社長だった2002年8月に42歳で急逝しました。英裕氏にご子息がおられなかったこともあり、株式は取引先各社に引き受けをお願いし、浅井家の同族会社からパブリックカンパニーになりました。株主の皆様から独立経営にご理解を頂き、3代目からは浅井家ではないプロパー役員の社長就任が続いています」

――これからのお話もお聞きします。自動車業界が100年に一度の大変革の時代を迎え、CASE(コネクティッド、自動化、シェアリング、電動化)あるいは自動車を含めたMaaS(モビリティ・アズ・ア・サービス)の動きが加速しています。特殊鋼を取り巻く事業環境はどう変わり、浅井産業はどう対応しようと考えていますか。

「供給サイドを見ると、将来的に販売規模縮小が避けられず、製品の高度化・高付加価値化を追求するものと思われます。需要サイドではEⅤ化・軽量化による部品点数の縮小が想定され、特殊鋼の自動車1台当たりの使用原単位は少なくなると想定されます。当社もこの変化を敏感に捉え、『素材がどのようなものに変化するか』、『新しくユーザーの求める素材はどのようなものか』を高いアンテナを立てて、対応していきます」

「当社はヒモ付き販売を主体にしながら、付加価値の高い事業領域の開拓を目指してきました。グループ会社にメーカーを持ち、素材から付加価値を高め、部品事業も手掛け、新規事業を伸ばす。今後もこの方向性を変えずに発展を目指そうと考えています」

――新たに中期経営計画をスタートするそうですが、この骨子は。

「浅井産業グループの10年後の事業環境を認識して、2022年度から3カ年の浅井グループの中期計画を策定しました。社会・経済情勢や需要構造の大きな変化に対して、浅井グループの進路を明確にするべく、中堅層を含めて検討を重ねてきました。ただし、ロシアのウクライナ侵攻以降、世界的に社会・経済情勢が様変わりしています。この劇的な変化により前提条件が変わる可能性はあると考えています」

「当社が今後10年間で直面するのは①自動車EV化の加速に伴い部品点数が減少し、素材販売規模が縮小する②ユーザーの軽量化追求により素材に求められるニーズが変化する③地球環境保護の高まり(カーボン・ニュートラル、SDGs)により事業環境が変化する④社会変容(定年延長・女性活躍・労働者不足など)への対応が求められる―といった諸状況です。中期計画では『浅井グループは強固な財務体質と経営基盤を堅持し、激変する事業環境に柔軟に対応し安定した収益確保を目指す』をテーマに据えて、浅井グループの経営理念『挑戦』『誠実』『共生』に基づく中期行動指針を定めます」

「『挑戦』とは、取引先の求める変化を敏感に捉え、事業改革・事業拡大を目指し果敢に挑戦することです。『誠実』とは、多様性を尊重し、高い倫理観を持って取引先の期待と信頼に応えることです。『共生』とは、地球環境への貢献、ES(従業員満足度)の向上を意識した活動を行うことです」

「営業面では既存事業の深掘りを進めるとともに、新規事業の探索に力を入れます。キーワードは『素材+付加価値(加工)』であり、M&Aを含めて部品事業や新規事業の開拓を進めます。管理面では浅井グループの統括管理・DX化の推進・業務作業の一元化と効率化の追求に取り組みます」

――今しがた浅井グループの統括管理といった話もありましたが、グループの現状と展望もお聞きしたいと思います。

「現在のグループ会社は国内4社(切断加工2社・機械加工1社・鍛造1社)と海外現地法人2社(タイ・インドネシア)です。各グループ会社は金属加工メーカーであり、いずれも当社の事業と大きなシナジーがあります。お客様は素材よりも加工品、部品やユニットの調達を志向されており、当社はグループ会社と連携してお客様のニーズへの対応力向上を追求していきます。また今後も当社とのシナジーを大前提にして、資本提携やM&Aを駆使し、浅井グループの質的・量的拡大を目指します」

――最後に次の100年に向けて目指すべき企業像をお聞きしたいと思います。

「1962年、創業者の浅井鉞次郎は社名を『株式会社浅井商店』から『浅井産業株式会社』に変更しました。『将来どのような業種にも参入できるように』と考えたと聞いています。当社は総合商社を目指す器ではありませんが、大手にはできない小回りや丁寧さで取引先に接し、取引先が求めるニーズにお応えして、『知恵』『挑戦』『信頼』をモットーに期待に応えられる企業集団を目指します。『浅井グループと付き合って良かった』と思って頂ける取引先を増やし、皆様の発展に合わせて当社グループも発展したいと考えています」

取締役社長 増井 平(6代目)

取材協力:鉄鋼新聞社 谷山記者  写真提供:©鉄鋼新聞社

創業100周年
記念寄稿

創業100周年を迎えられたことを心よりお祝い申し上げます。

浅井産業様とのお付き合いは、弊社の創業期に、貴社創業者の浅井鉞次郎氏に織機用の鋼材を供給いただいたことにはじまります。また、当時輸入鋼に頼っていた紡機の重要部品である筋ローラーの素材を、初めての国産品として神戸製鋼所製の特殊鋼を供給いただいたのは、当時の繊維機械業界における特筆すべき変化点でした。近年では、海外においても貴社インドネシア工場から鋼材を供給いただくなど、多方面で弊社の事業を支えていただいております。
100年という歴史の重みと、長きにわたり鉄鋼・非鉄業界を牽引してこられた功績に深く敬意を表しますとともに、次の100年に向け、更なる飛躍をされますことを祈念いたします。

株式会社豊田自動織機

取締役社長大西 朗

創業100周年、誠におめでとうございます。心よりお祝い申し上げます。

近年は幾多の苦難もある中で盤石の供給体制や、きめ細やかな品質管理をはじめとしたご支援に、感謝申し上げます。
1935年に豊田自動織機自動車部での試作第一号車シャシー部品への鋼材を納入頂いた所からお付き合いが始まり、弊社本社工場建設の際には、貴社創業者である浅井鉞次郎氏に草刈りを手伝って頂いたという逸話もあり、長きにわたり私どもの生産を支えて頂きました。
皆様には、今日の発展を築かれた諸先輩の財産を守りつつ、情熱をもって未来に挑戦し、次なる100年に向け新たな歴史を作って頂きたいと思います。
さらなる発展を祈念して、お祝いの言葉とさせて頂きます。

トヨタ自動車株式会社

調達本部 本部長熊倉 和生

創業100周年おめでとうございます。

1922年の創業以来、「取引先第一」をモットーに、お客様と共に成長してこられた浅井産業株式会社が、この度記念すべき100周年を迎えられましたことを心よりお慶び申し上げます。
「特殊鋼の浅井」として産声を上げられ、以来自動車メーカーを中心としたお客様のニーズに応える物流体制を構築し、特殊鋼やアルミ・銅をはじめ、コーティングや機械・環境機器に至るまで事業を拡大して来られました。
また当社としましては、昭和初期において創業者浅井鉞次郎様から自動織機用途の特殊鋼開発をご依頼頂いたことを機に、今日に至るまで特殊鋼・アルミ・機械と多岐にわたるパートナーシップを継続させて頂いておりますことを大変光栄に思っております。
この100年間、幾多の困難苦難を乗り越え、大手商社・流通には無い独自性を発揮し、お客様からの信頼を深めてこられた経営陣・社員・関係者の皆さまへ深く敬意を表しますとともに、貴社並びに関係者の皆さまの一層のご発展を心より祈念致しましてお祝いの言葉とさせて頂きます。

株式会社神戸製鋼所

代表取締役社長山口 貢

この度は創業 100周年をお迎えになり、心よりお祝い申し上げます。

昭和2年、創業間もない浅井産業さまと私共三井住友銀行とのお付合いは始まりました。以降、浅井産業さまは国内屈指の鉄鋼商社として日本のモノづくりの根幹を支え続けておられます。
昭和、平成、令和を共に歩み、100年を迎えられたことはメインバンクとして望外の喜びです。日本のモノづくりが大きな転換期を迎える昨今、次の100年に向けて新たなスタートを切られます。浅井産業さまの更なる飛躍に向け、我々はメインバンクとしての役目を力の限り果たして参る所存です。今後益々のご繁栄を祈念いたしまして、100周年のお祝いに代えさせて頂きます。

株式会社三井住友銀行

頭取 CEO髙島 誠