創業100周年を迎えるにあたって
――2022年4月1日に創業100周年を迎えられました。率直な思いをお聞かせください。
「株主と取引先の皆様をはじめとする関係者各位の長年に亘る温かいご支援の賜物であり、深く感謝申し上げたいと思います。大正・昭和・平成・令和と4つの時代を乗り越え、今日の当社を築いて来られた創業家と諸先輩方の知恵とご苦労やご努力には、限りない敬意と感謝を捧げたいと思います。私自身としましては、この記念すべき日を6代目社長として迎えられたことは非常に光栄であり、あらためて身の引き締まる思いです」
――100年の歴史において幾度もの節目があったと思われますが。
「私自身は経験していませんが、諸先輩のお話では、創業期や戦中・戦後はかなりご苦労をされたようです。その中で、1950年代後半から大阪、東京に鋼材のサービスセンターを構えて、特殊鋼のジャスト・イン・タイムの納入を開始しました。鉄鋼の商社としては初めての採用だったと聞いています」
「約半世紀前の1971年には愛知県にもサービスセンター(衣浦サービスセンター)を建設し、中部圏で特殊鋼のジャスト・イン・タイムの納入体制を確立しました。それ以前は神戸からトラックでユーザーに運んでいましたので、神戸製鋼所や中部圏のユーザーから高い評価を頂きました。この倉庫の開所式には豊田英二様をはじめトヨタさんの首脳の方々にもご出席を頂きました」
「このように『特殊鋼の浅井』として、大手商社ではできない、きめの細かいデリバリーサービス、コミュニケーションなどで信頼を得ることができました。同時に、お客様の成長に合わせて当社も新規事業を拡大し、『特殊鋼の浅井』から一歩進んで、取扱商品の多角化も目指しました。1975年には非鉄金属販売に参入し、神戸製鋼のアルミ・銅製品をメインにお客様の開拓と販売の拡大に注力しました。非鉄金属販売は今では売上高の2割以上を占めています」
――鉄鋼、非鉄金属と並び、非素材系の事業も手掛けています。いつ頃に始めたのですか。
「1985年に2代目社長の浅井睦也が『素材以外の業際領域を開拓しよう』と方針を打ち出し、開発部を設置しました。1年がかりで色々な分野を探索し、最終的に金型に対する表面コーティング分野と高機能プラスチック関連の射出成形機用部品(スクリュ、シリンダ)分野に狙いを定めました。私もこの新規開拓に奔走しましたが、当初は事業として確立できるのか、半信半疑だったのを覚えています。今では30年以上が経ち、売上高比率は高くありませんが、しっかり利益貢献できる事業になっています」
「表面コーティング事業は在阪のメーカーとタイアップし、当社が販売を担う形で進めており、現在に至っています。射出成形機の部品事業は神戸製鋼(高砂・明石)に開発と製造を依頼して進めた事業です。現在は当社が事業主体となり、神戸製鋼から引き継いだメーカーに製造委託を行い、現在に至っています」
――機械・環境機器では製造現場の環境改善提案に加え、気候変動に伴う自然災害対策商品、脱炭素社会に向けた商品などを幅広く扱っています。
「平成に入り、ユーザーの環境意識の高まりから、当社も工場環境機器の販売を模索し、鉄を切削する際に出るオイルミストを捕捉・回収する装置を拡販し始めました。これをベースに、ユーザーの求める工場環境機器や神戸製鋼グループが生産する機械の販売に力を入れるようになりました。神戸製鋼グループが多様な事業を展開する中で、今後もヒートポンプ、コンプレッサ、水素発生装置など機械・装置の販売にも力を入れていきます。」
「事業展開の節目以外で言いますと、1995年の阪神淡路大震災は神戸製鋼グループにとっても当社にとっても忘れ難い出来事です。神戸製鋼は早期復旧に尽力され、お客様や多くの鉄鋼メーカーにご協力、ご支援を頂きました」
「もともとの当社は1922年に浅井鉞次郎が創業した同族企業であり、2代目社長は長男の浅井睦也で、創業者の孫である浅井英裕が3代目社長に就任する予定でした。英裕氏は副社長だった2002年8月に42歳で急逝しました。英裕氏にご子息がおられなかったこともあり、株式は取引先各社に引き受けをお願いし、浅井家の同族会社からパブリックカンパニーになりました。株主の皆様から独立経営にご理解を頂き、3代目からは浅井家ではないプロパー役員の社長就任が続いています」
――これからのお話もお聞きします。自動車業界が100年に一度の大変革の時代を迎え、CASE(コネクティッド、自動化、シェアリング、電動化)あるいは自動車を含めたMaaS(モビリティ・アズ・ア・サービス)の動きが加速しています。特殊鋼を取り巻く事業環境はどう変わり、浅井産業はどう対応しようと考えていますか。
「供給サイドを見ると、将来的に販売規模縮小が避けられず、製品の高度化・高付加価値化を追求するものと思われます。需要サイドではEⅤ化・軽量化による部品点数の縮小が想定され、特殊鋼の自動車1台当たりの使用原単位は少なくなると想定されます。当社もこの変化を敏感に捉え、『素材がどのようなものに変化するか』、『新しくユーザーの求める素材はどのようなものか』を高いアンテナを立てて、対応していきます」
「当社はヒモ付き販売を主体にしながら、付加価値の高い事業領域の開拓を目指してきました。グループ会社にメーカーを持ち、素材から付加価値を高め、部品事業も手掛け、新規事業を伸ばす。今後もこの方向性を変えずに発展を目指そうと考えています」
――新たに中期経営計画をスタートするそうですが、この骨子は。
「浅井産業グループの10年後の事業環境を認識して、2022年度から3カ年の浅井グループの中期計画を策定しました。社会・経済情勢や需要構造の大きな変化に対して、浅井グループの進路を明確にするべく、中堅層を含めて検討を重ねてきました。ただし、ロシアのウクライナ侵攻以降、世界的に社会・経済情勢が様変わりしています。この劇的な変化により前提条件が変わる可能性はあると考えています」
「当社が今後10年間で直面するのは①自動車EV化の加速に伴い部品点数が減少し、素材販売規模が縮小する②ユーザーの軽量化追求により素材に求められるニーズが変化する③地球環境保護の高まり(カーボン・ニュートラル、SDGs)により事業環境が変化する④社会変容(定年延長・女性活躍・労働者不足など)への対応が求められる―といった諸状況です。中期計画では『浅井グループは強固な財務体質と経営基盤を堅持し、激変する事業環境に柔軟に対応し安定した収益確保を目指す』をテーマに据えて、浅井グループの経営理念『挑戦』『誠実』『共生』に基づく中期行動指針を定めます」
「『挑戦』とは、取引先の求める変化を敏感に捉え、事業改革・事業拡大を目指し果敢に挑戦することです。『誠実』とは、多様性を尊重し、高い倫理観を持って取引先の期待と信頼に応えることです。『共生』とは、地球環境への貢献、ES(従業員満足度)の向上を意識した活動を行うことです」
「営業面では既存事業の深掘りを進めるとともに、新規事業の探索に力を入れます。キーワードは『素材+付加価値(加工)』であり、M&Aを含めて部品事業や新規事業の開拓を進めます。管理面では浅井グループの統括管理・DX化の推進・業務作業の一元化と効率化の追求に取り組みます」
――今しがた浅井グループの統括管理といった話もありましたが、グループの現状と展望もお聞きしたいと思います。
「現在のグループ会社は国内4社(切断加工2社・機械加工1社・鍛造1社)と海外現地法人2社(タイ・インドネシア)です。各グループ会社は金属加工メーカーであり、いずれも当社の事業と大きなシナジーがあります。お客様は素材よりも加工品、部品やユニットの調達を志向されており、当社はグループ会社と連携してお客様のニーズへの対応力向上を追求していきます。また今後も当社とのシナジーを大前提にして、資本提携やM&Aを駆使し、浅井グループの質的・量的拡大を目指します」
――最後に次の100年に向けて目指すべき企業像をお聞きしたいと思います。
「1962年、創業者の浅井鉞次郎は社名を『株式会社浅井商店』から『浅井産業株式会社』に変更しました。『将来どのような業種にも参入できるように』と考えたと聞いています。当社は総合商社を目指す器ではありませんが、大手にはできない小回りや丁寧さで取引先に接し、取引先が求めるニーズにお応えして、『知恵』『挑戦』『信頼』をモットーに期待に応えられる企業集団を目指します。『浅井グループと付き合って良かった』と思って頂ける取引先を増やし、皆様の発展に合わせて当社グループも発展したいと考えています」
取締役社長 増井 平(6代目)
取材協力:鉄鋼新聞社 谷山記者 写真提供:©鉄鋼新聞社